スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

幸せ

002-a.jpg
前回は、きりっとした表情をしたしうを写したが、もともとは不細工なしうである。これは大黒様のようなしう。思わず御利益を祈って、手を合わせたくなる。大黒様というと、我が町の清水寺にもある。このお寺は現世御利益を祈る寺であって、過去には願掛けのために舞台から飛び降りて亡くなった方もいたとか聞く。人の願いや幸福追求はあくところがない。
さて、昨日はちょっとした幸せプロジェクトがあった。私はその時に外せない用事があったので、参加することができなかった。できなかったからと言って悲観することもない。また次ぎに参加できるという楽しみができる。
人は人と比較して、不足するものを不満をもち、自分もそうありたい、いやそれ以上でありたいと願ったりする。だが、私は自分の身の周りにある幸せをまずかみしめたい。4匹の猫たちに出会えた幸せ、彼らの世話ができる幸せ、彼らが与えてくれる幸せ、家内の奉仕に対する幸せ、今日も健康に朝を迎えられた幸せ、一日が無事に過ぎた幸せ、順番に幸せを数えていると、感謝の気持ちで一杯になってくる。不足したものを願わなくともよくなってくる。
資源を奪い合ったり、隣国の脅威に過剰な反応をしたり、欲と恐怖の連鎖が何も生産的なものを生まないことが自ずと見えてくる。石油を使わなくとも、水で走る自動車が街を走り、人それぞれが一日に必要なものだけがそろい、それ以上でもそれ以下でもない、そういう社会の訪れを祈りたい。
スポンサーサイト

006-a.jpg
先週末から家内が実家に帰っていない。猫たちの世話は、一手に私にまかされたが、そもそもに4匹の猫たちのうち私になついていない2匹はどんなに空腹になっても、それを訴えに2階から降りてこようともしない。ひたすら家内の帰りを2階の家内の部屋で息を殺して待っているのでした。それもこれも家内が猫たちに絶対ともいえるほどの信頼を勝ち得ていて、私などは不審者の域をでないからなのでした。
そんな中でその仲介役を果たしているのが、しうでした。今朝も、2階の餌皿が空っぽでみんな難儀していると知らせにきたのでした。しうは、こうみえてなかなか男気のある猫です。私がらむちゃにちょっかいを出していると、その間に入ってきて身を挺して、らむちゃを守ってやろうとします。単に自分も撫でて欲しい、かまって欲しいだけなのかもしれませんが、そうは見えない何かしうなりの思いをいつも感じます。もっとも、しうはらむちゃが怖くて、いつもはらむちゃに近寄ったりしないのですが。
猫は、自分の方から撫でてと近づいてくる時以外は、触って欲しくない孤高の生き物です。この点、私と同様に安易に自分の方から猫に触って、信頼関係を築けていない人が多いのではないかと思います。猫、それは、なかなか手強い生き物だと思います。

久しぶりの雪

雪
久しぶりに雪が降り積もった。私の住む街、京都では去年は雪は積もらなかったから本当に久々との思いがする。一時は、もう京都には雪は積もらないのではないかと、心配になったから安堵した。門柱にも5センチから7センチは積もった。昨夜は、この雪の中を仕事からバイクで帰ってきたのだ。路面が凍結しており、うっかりハンドルを切ったり、ブレーキをかけると転倒しそうで怖かった。

けい

けい
4匹目のけいの最新の写真が撮れたら、記事を書こうと思っていたが、とうとう今日まで撮ることができなかった。一ヶ月新規記事を投稿しないと、いろいろ不都合がでるらしいので、仕方なく、過去の写真を繰ってアップした。けいも保護猫であるが、他の猫とちがって苦境にあるところを保護されたのではない。野良して生きていくことの苦労を知る前の幸せに親猫といるところを保護されて親兄弟と引き離されてしまったようだ。それで、人に懐こうとしない。未だに我が家の中で野良猫生活をしている。これは、人が保護をしたつもりが猫にとっては収奪されたというか捕獲をされてしまったということによるのではないかと思ってしまう。
裕福な親が愛情から出自や就職先を勘案して、この人なら我が娘を嫁がせても良いと写真を見せて見合いさせても、娘はろくに収入のめどもない男に気があって、その男と一緒になると言って聞かないということは世間に時々ある。子は、裕福な親の元ではできなかった苦労や冒険がしたいのだろう。親が良いと思うことと子がしたいと思うことが別で幸せは人それぞれであるように、猫が良いと思うことと、人がよかれと思ってすることは往々にして正反対のことであったりするものだ。困っている時に御節介にならないように、そっと手を貸すということは、それなりに難しいことである。けいは、我が家での野良猫生活に馴染んでしまった。日々の世話をする家内には、それなりに懐いてはいるが、それで十分で、今の生活に困っていないので、私はけいに感謝されることは何もできない。家内が実家に帰っていない時に餌をやっても、けいは私のいるところでは絶対に食べない。私が立ち去って、一時が経って、餌が私がもってきたものではなくなったという時が経るのを待ってから食べ始めるのである。けいが我が家に来て4年、つくづくため息がでてしまう。

テーマ : 猫のいる生活
ジャンル : ペット

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。